名は体を表すと言うけれど

サリドマイドという薬がある。

 

同薬は医学部2年生くらいから何度か取り上げられていたので『サリドマイド => アザラシ肢症・妊婦には禁忌』というのは医学部生の常識、でも僕はそれ以上の知識を得ることもなく卒業を迎えた。

 

もともと1957年にドイツで開発、妊婦のつわり止めに使われたところ死産・奇形児を生み出してしまい世界的な薬害事件の元となった薬だ。

 

サリドマイドの歴史はそこで終わらない。多発性骨髄腫への効果が発見され副作用を軽減された後Revlimidとして世界中で毎年何千億円もの売上をあげてきた。(2017年売上はこの薬だけで1兆円近い)他にもPomalyst、Otezlaなどサリドマイドをベースにした薬はがん治療の世界でブロックバスターを量産、少なくとも商業的には大成功を収めた。(その間アグレッシブな値上げもされているのだがそれはまた別の機会に論じたい)

 

そして先月、これらブロックバスターを売り出してきたCelgeneが740億ドル(8.2兆円程度)という途方もない金額でBristol-Myers Squibbに買収される計画が発表され大きなニュースとなった。

 

誤解のないように追記。Celgeneは直近売上の75%程度がサリドマイド由来の薬剤によるものの中小規模バイオテックとの提携もかなりアクティブでCAR T Therapyを始め多くのInnovationに貢献してきた会社だ。

 

 

 

 

 

買収案件にまつわるこれら一連の歴史がメディアで紹介される中FDAでメディカルオフィサーとして働いたFrances Oldham Kelseyという医師のことを知った。

 

 決して高給ではないものの非常に優秀な人が集まっていることで知られ大きな尊敬を受けている同職において、医学部卒業後数年の彼女が最初に担当した薬の1つがサリドマイド。Inadequate evidence on safetyを根拠に断固として承認を認めなかった彼女のおかげでアメリカにおけるサリドマイド被害は皆無、その後はご存知の通り。Dr. Kelseyはその功績が認められ多くの賞を受賞、現在FDAでは彼女の名を冠した賞もある。

 

他先進国で次々にサリドマイドが承認され周囲や製薬会社からのプレッシャーがある中、新米のOfficerとして数年の臨床経験しかない彼女が“No”を貫くのはどれだけ勇気のいることだったのだろう。

 

もし仮にサリドマイドが安全な薬だったとしても、彼女のお陰でアメリカ人たちは人体実験のモルモットになることから逃れることが出来たのだ。その場合Dr. Kelseyのキャリアがどうなっていたのかは知る由もないが…

 

 

 

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JFKに表彰されるDr.Kelsey

 

 

声をあげること、ポジションを取ること、時に勇気を出してリスクを取ること。これらは時折社会に大きな恩恵をもたらす。

 

だから僕は起業家を大きく尊敬するし、自分でも近いうちにこちらでやりたいという想いを抱き続けている。大抵失敗するけどね。でもそれで良いんだ、ターンオーバーが全体を良くしていくんだから。ちょうど挑戦者が入れ代わり立ち代わり現れる都心のラーメン店のように。

 

そこまで大きなリスクじゃなくても、少し疑問に思ったことを発言するくらいのことから何か生まれるんじゃないかと信じている。だから時々変な目で見られても、よほどまずくない限り色々発言する姿勢は保ちたい。MBAのクラスだって、恥ずかしがらずに賛否両論あるくらいの意見を言った時の方が議論が白熱したしね。

 

 どんなリスクでも取れば良いってわけじゃない。けど個人の目から見てリスクリワードが釣り合ってるくらいの時は、多分リスクテイクしてみた方が面白いことになるんじゃないかな。

 

 

Pygmalion Effect

“Your name is Gustavo, right?”

 

最近通いだした南米料理の店で注文を取ってもらっているGustavoに対して突然切り出した僕に、彼は戸惑いながら答えてくれた。

 

“Yes... But how did you know?”

“You served me the previous time I came here, and I liked your service.”

 

前回のサービスが本当に良かったからそう言った。だがそれに気を良くしたのか、彼はその後店に行くたびに”Hey Boss, what’s up”と気さくに話しかけてくれるように。サービスもより向上した気がする。

 

やっぱり褒められると嬉しいよね。

 

最近、ずっと会いたかった医学部時代の教授とボストンで話す機会に恵まれた。後日人づてに『小山さんをうちに欲しいみたいですよ』と言ってもらえしばらくごきげんになることができた。(いつもそうなれるのが目標です)

憧れていたベンチャーキャピタリストの人から『期待してるからね!』と何度も言ってもらえた後はとても爽快な気分になれて、それが仕事で遅く残らなきゃいけない日のちょっとした活力になったり。

 

心理学的にはPygmalion効果というらしい。

 

 

 

病院実習のとき別のある教授は『製薬会社の人たちにお世辞を言われたらバカにされてると思わないと』と言っていたが、相手が本心から褒めてくれるからこそ嬉しくなるのも事実だ。ほめ言葉のさしすせそ(調味料の方ではない)などに引っかかる人間にだけはなるまい・・・

 

 

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ほめ上手への道のりは厳しいようで。

 

Debtbook Diplomacy

以前書いた中国の途上国向けローンについて調べてみたら思ったより事態はなかなか深刻なようで・・・

 

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上図は主な貸出先だが既に借金漬けになっている、あるいはなりかかっている国もあるようだ。

 

有名な例はスリランカ。巨大港建設向けに中国から貸し出された債務の支払いが滞ってしまった結果、港は中国へ99年リース。その港は軍事向けに転用されている。

 

またジブチは最近政府債務がGDP対比85%まで急増、その9割ほどが中国からの借り入れ。このジブチ(Djibouti)、僕も聞いたことの無い国だったのだが軍事的商業的に非常に重要な位置にあってアラビア半島とアフリカ大陸の間隙がちょうど狭まるBab el-Mandebという海峡に面している。

 

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他の国で地理上重要なのは下図赤丸で囲んだMalacca海峡、エネルギー資源の交易路として世界的な要所だ(日本の原油輸入の90%近くはここを通る)。現状米国Navyが軍事的に独占しているようだが周りのタイやマレーシア、特にタイはかなり中国からの借り入れが膨らんでいるとのこと。

 

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乱暴な言い方かもしれないが、汚職が進んでいる上にインフラ整備を急ぐ途上国向けの貸付など利払い開始時期を延期して現担当者/政権の間の負担を極力減らし、ワイロで丸め込んだ上にCredit Event(要は破綻だ)が起こった際の条件を不必要に複雑にしつつ自国に有利な条項を盛り込めばいっちょ上がりだろう。

 

Harvard Kennedy Schoolのレポートによると

 “The U.S. and its allies cannot offer public-private investment at anywhere
the scale of Chinese BRI funding”

米国や同盟国は貸出金のスケールでは勝てないとのことでアメリカが借り換え相手になれば解決できるのでは、との頼みの綱も外れ。果たしてどうなってしまうのか・・・

 

 

どの講義だか忘れたのだが、印象に残っているクラスメイトの発言を載せて今回は終わりにしたい。

 

『世界は平和になったように感じている人が多いけれども、決してそうとは思わない。今までに無い規模の戦争が起こったっておかしくないのだから。ちょうど原爆が、爆発する頻度が低いからと言って安全だと言えないように。』

 

 

 

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画像は闇金うしじまくん。中国政府が救いの神の可能性もなくはない。

 

 

(Reference: Debtbook Diplomacy. Belfer Center for Science and International Affairs. MAY 2018 https://www.belfercenter.org/sites/default/files/files/publication/Debtbook%20Diplomacy%20PDF.pdf)

What doesn’t kill you makes you stronger

誰が買ったのか、父の車にはいつもQueenのCDがあった。

 

学生時代にちょっと頑張りたいデートの時などに借りていた父の車で何の気なしに延々とリピートしていた。サッカー部の試合や合宿のときとかも同じ調子だったから、同級生の修平からは『Queenを聞くと小山の車を思い出す』って言われたっけ。

 

そんなことで僕は世代に合わずQueenに愛着がある。そして昨夜はようやく念願のBohemian Rhapsody鑑賞。内容は評判通り、何より音楽が好きなので満足度はとても高い。問題は帰り道。今年のボストンは雪が降らないものの気温が低く昨夜もマイナス15度。映画館の窓から見た限り風も強そう。手袋とマフラー、ニット帽で完全武装して外へ。

 

 

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写真は昼間のCharles Riverだが寒さが伝わるだろうか

 

 

ところが意外と寒くない。一緒に出かけた友人は非常に寒そうにしていたため、なんとなく寒い寒い言いながら歩いて家へ帰ったのだが想定していた程ではない。3回目の冬で慣れてきたのか、小学生時代できる限り半袖短パンで過ごしていた効果が今頃あらわれてきたか。(なぜか薄着で過ごすとあらゆる大人からべた褒めされるのでやめるにやめられなかった。少年小山は自分の人生を生きることは知らなかったようだ)

 

調べてみると実際体質が変化することもあるらしい。韓国の論文では同年代の女性に比べ海女さんの方が、寒さにさらされても深部体温が下がりづらかったのだとか。アメリカ軍のトレーニングでも極寒地やダイビングの任務前に寒さへのトレーニングを行うらしい。

 

負荷をかけられた無機物は壊れるかダメージが蓄積していくだけだが、以前より強く進化できるのは有機物の特権だ。実際のところ体質変化を起こすには相当量の負荷が必要なようなので僕の場合は感覚が少し慣れただけ?だけどこの際、僕が進化したのだと都合よく捉えることにしよう。

Isn’t it judgy?

留学当初にイマイチ腑に落ちなかった概念がJudgeだ。

 

Judge (Google dictionary)

Noun; a public official appointed to decide cases in a court of law.

Verb; form an opinion or conclusion about.

 

判断(Judge)することの何が悪い?普段人々とかかわる中で色々なことが起こる。良い人も悪い人もいないのかもしれないけど、皆それぞれの性格や特徴・癖があってそれらが時を経るごとに少しずつ見えてくる。そこからその人との関わり方が、自分なりに分かってくるのでは?

 

そう思っていた僕はなんでJudgy(Judgeが形容詞化したもの、語尾にyをつけると形容詞になるスラングは多い)がいけないのか疑問だった。

 

時を遡り2011年。前職入社当初に帰国子女の同僚に『ときおり君にJudgeされているように感じる』と言われた。その時も『人間同士の関わりでそれは避けられないだろう』と正論をぶちかましてしまった。(ゴメンナサイ)

 

ではなぜJudgeがいけないのだろう? Power & NegotiationというSloanの名物講義からの例を交えて考えてみたい。

 

Power & Negotiationは文字通りNegotiation技術を高めようというレクチャー。面白いのは途中からゼロサム、つまり限られたパイの中から自己の取り分を上げていくのではなく自分と交渉相手の利益の総量を上げることを通して結果的に自分の利益もしくは幸福量を上げようという方向にシフトしていく。

 

ロールプレイが中心の授業で例えば祖父を失った兄弟が遺産整理をする中で見つかった貴重品リストをにらみ合い、どちらが何を得るか交渉する。当然高価なものはどちらも欲しい。ただ兄弟間で価値の感じ方が違う品物も存在する。(兄は絵が欲しいが弟はそうでもないなど)それらを踏まえどう分ければ互いの満足度(絶対値としての利益だけでなく公平感も含まれる)を高められるのかを話し合った。

 

Key take awayは信頼できる交渉相手と協力的な関係を築き、情報をオープンにシェアすることが結局自分にとって最善だということ。これはその回だけではなく講義全体として伝えられていたテーマに感じる。

 

別の回ではいかに相手側が抱えているコンテクスト、ストーリーが見えづらいかについて扱った。その際に社内政治で皆が長い間一緒に働いていく際に積み重ねられた期待値や約束、その中で少しずつすれ違っていった人間関係について学んだ。

 

話を戻しJudgeについて。Judge、つまり相手について何かしら判断してしまうことはオープンに情報共有をすることの対極にあるのではないだろうか。分からないことを全体に理解を深める努力が自然に限定されてしまうし、やはり限られた相手の情報と自分の人生経験から相手を理解したつもりになるのはDisrespectfulだろう。(書いていて耳が痛い…)

 

日本語では『決め付ける』がこれにあたると思う。西洋文化の中ではその閾値がだいぶ低いというのが僕の印象だ。Diversityを前提にしているアメリカでは特にそうだろう。

 

それでも知らず知らずに傷つけ、もしくは傷つけられることは残念ながらよくある。例えば最近同級生のJennyから『今日寒いのは分かっていたのだから、そんなに寒がるならドレスは着てこなければ良かったじゃない』と言った男性がSexistだと批判されてしまった話を教えてもらった。女性には当然の感覚なのかもしれない。でも情けないことに何がOffensiveだったのか僕にはあまりピンとこなかったし、言ってしまった男性も同様だったろう。

 

Feminismは本当に難しい。今後の社会の発展にものすごく重要な一方、1人の男性としてどんなに気をつけていても足もとをすくわれてしまいそうな、怖いものと感じてしまうこともある。だからこそ尚更、JudgeせずOpenにお互いの感覚を知ろうとする努力が必要なのかなと思う。その点、ドレスを指摘したことで逆に注意されてしまった男性は幸運だ。

 

忖度を美徳とする環境から来た人間として、行間を読むスイッチを出来る限りオフにしたコミュニケーションは仕事上で死活問題。何か物事を伝えるときも誤解のないよう意図を正確に丁寧に伝えよう、と気をつけている中でVocabularyの重要さを改めて認識した。父親から『英語は単語だよ』とことあるごとに言われていたのだがそういうことだったのだろうか。 燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。

 

今度聞いてみよう。

 

 

 

Neuroplasticity

最近Youtube、特にTEDxにはまっている。

 

残念ながら大抵のプレゼンはつまらない。(はまっているのに何て言い方だ)Contents vs Deliveryで言うところのDeliveryに偏ったパフォーマンスだけのものが多い印象がある。

 

しょうがないだろう。ほとんどが素人なんだから。

 

ただ大勢の素人のうちのごくひと握り、つまり再生回数15,000,000回を超えるもの(現時点で127,333動画のうちのトップ14個だ)はさすがにどれも突き抜けて面白い。大勢の素人のトップがプロを凌駕するのを見れるのは発信のハードルが大きく下がった時代の醍醐味。

 

 

有名なのはProjeria(早老症の1種)のSam Bernsや日常の仕草が自己イメージに及ぼす効果について語るAmy Cuddy(下記写真の女性を見たことある方も多いだろう)だ。

 

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堂々のトップはなんと再生回数ほぼ7千万回(この3倍を超えるピコ太郎はやはり只者ではない)の” Beatbox brilliance” 、Australia人のボイスパーカッションパフォーマンスだ。(世代的に学校へ行こうを思い出した)

 

 

 

 

僕が特に面白いと思ったのはNeuroplasticity、人間の脳の力を大人になってから伸ばすことが出来る可能性について話しているものだ。(https://www.youtube.com/watch?v=LNHBMFCzznE

 

脳科学者であるプレゼンターによると、脳に関する知識は日々塗り替えられているとのこと。

 

たとえば“人間の脳は普段は10-20%しか活動していない”という話は以前よく耳にした。そこから転じて“眠っている力を解放すればとんでもない能力が発揮できる”というのはフィクションでも好んで使われた理論。ナルトのガイの必殺技やワンパンマンの桁はずれた強さの説明も用いられていた。しかしどうやらわれわれの脳は普段から割とフル活動していることが最近分かってきたらしい。

 

また“思春期過ぎたら中枢神経の構造はほぼ変化しない”というのも以前学んだ。この理論に疑問を投げかけ、“年齢に関わらず行動次第で脳の力を伸ばすことが出来る”というのがプレゼンターの主張。人生100歳時代でいつまでも成長できる、と思うとワクワクする。

 

 

 

『子供たちの英語がペラペラになっていてうらやましいんだ』

 

 

去年の夏、卒業間近にキャッチアップしようということで会った同じ時期にMBAに留学した日本人が言っていた。

 

本当に、大人になったら英語力は伸びづらくなってしまうのだろうか?ネイティブのようにはもうなれない?確かにサッカーだとゴールデンエイジは10歳くらいでそれまでの技術習得が選手の将来を分ける。だから英語力も大人になると学びづらいのかもしれない。

 

僕としては、やり方しだいでどうにでもなると信じ続けていたい。同級生を見ていても特に努力をしていた同じクラスの4人は顕著に伸びていたしNeuroplasticityの考え方にも勇気付けられた。

 

ちなみにTEDxの中でHow to learn any language in six monthsというのもある。その中でプレゼンターは“語学学習をPhysiological trainingと捉えろ”、となんだか上記脳科学者と似たようなことを言っていた。(https://www.youtube.com/watch?v=d0yGdNEWdn0)

 

具体的な方法の1つがBrain absorption、とにかく学びたい言語を聞き続けることだそう。素直な僕はこれ幸い、とますますYouTubeに没頭するのだった。

 

 

 

 

 

 

ここで今回は終える予定だったのだがもう少し。

一応言い訳をしておくと、YouTubeではCNBCやNational Geographicなど硬い内容のものも見て(聞いて)いる。もちろんくだらないものもたくさん見ているのだが。

 

ニュース系の番組だと最近ではGovernment Shutdownについての話がメイントピックの1つだ。同じ件について同級生たちと話すと空港で不便な思いをしたという話を良く聞く。(ポストMBAはコンサル多い)

 

語りつくされているが、一国の長が国民800,000人を1ヶ月以上タダ働きさせる、もしくは給料もないし仕事もない状態にするというのはちょっと正気の沙汰だとは思えない。僕がそうなったら即座に有職ホームレスだ。

 

大変な目にあっている方々には本当に気の毒だと思うと同時に、選挙で間違った選択をしたツケがきていると冷めた目で見てしまう自分もいる。国のトップになるのに不適格な人間というのは確かに存在する。

A promise made

国債の国内消化の限界はいつ頃か??

 

結論から言うと外貨建債務もしくは複数国での通貨統合(EUなど)への参加がない限り国債の国内消化が出来なくなることはほぼない。(厳密に言うと基軸通貨国であるアメリカは国内消化のみというのは難しいかもしれない、ただ本質的に重要なのは安定して消化されることであって国内で消化されることではないだろう)

 

国が赤字国債を発行して調達した円を何かしらの公共事業で使えば使うほど市中預金量が増え、結果として同額国債消化“余力“が増えるから。

 

国債が100億円発行された場合を考えてみたい。

  1. まず国が100億円の国債を発行、その分金融機関の資産からキャッシュが減る
  2. 調達した100億円は公共事業を請け負った建設会社なり公務員の給料として支払われる
  3. 支払いを受けた会社や個人はそのお金を材料費や給料の支払いなり光熱費や食費、学費に使い残りが預金に回る。

基本的にこの流れを延々と繰り返しているわけだが2の段階で100億円が市中に戻ってきた時点で日本全体で見た場合の金融機関の手元キャッシュ量は1の前、つまり金融機関が国債を発行する前の段階に戻る。それは誰が(どの会社)何に金を使っても一緒、日本全体で見た預金量は変わらないはずだ。

 

経済学的には信用創造、説明は銀行ローンの例を用いて成されることが多いが当然国でも同じ原理が当てはまる。

 

何はともあれこうして国は100億円の国債を再び調達することが出来るわけだ。ちなみに決して財政的に健全とは言えないが利払いが膨らんでもこの仕組みが壊れることはない。利子(債券の世界ではクーポンか)として金融機関へ支払われたお金はそのまま国債購入に当てることが出来るから。

じゃあ金融機関が国債ではなく株を買ったらどうなるのだろうか、というとその株には売り手が必ず存在してその人の国債購入余力が増える。

 

今までの僕の説明を全て踏まえると国はほぼ無尽蔵に国債を発行できることになってしまうが本当なのだろうか。実際、国債発行時の利回り(要は金利だ)が多くの場合にマイナスな現状では借金をすればするほどもうかるおかしな状況になってはいる。

 

ではやはり日本国政府は無限に借金できるのか、正直なところ分からない。理論上ハイパーインフレーションが起きて云々、しかし少なくとも日本の場合これだけマネタリーベースが増えてもインフレ率は上がらない。その中でハイパーインフレーションを心配するのは少々こっけいではないだろうか。

 

ただ生産性の低いインフラ投資などに国家予算が使われすぎると、目先のGDPは高くなるがその後がついてこないどころかそういった事業がその後の経済発展の足かせになってしまうかもしれない。失われた20年の原因として使われる説明だが中国のゴーストタウンなどにも当てはまる。

 

預貸ギャップや家計の預金額と国債発行量の差額から導き出される 国政破綻のXデーは大学時代からインテリたちが好んで話す話題の1つだった。そんなこともありいつか書こうと思っていた話題なのだが伝えることの難しさから躊躇してしまっていた。

 

マクロ経済は証明が困難な上に日常生活からイメージが付きづらい為に世の中に誤解が多く出回っている分野だ。それはちょうど1匹1匹の蟻が巣全体で起こっている出来事を推し量れないのと同じだろう。

 

ただその中でシンプルかつ強力な法則は確かに存在している。少しずつでも伝えられるようになっていきたい。

 

 

しかし改めて恐ろしいと思うのは時の経過だ。自分も以前学んだ際に苦労したはずなのに当時の感覚が正直あまり残っていない、なので僕の説明でわかりづらいところなど皆様に教えて頂けたらと思っている次第です。

 

 ところで、冒頭に書いた国が破産するかもしれないシナリオの1つ外貨建債務にもろに引っかかっているケースが最近目立つ。それは中国からの途上国向け貸付、先日アメリカ副大統領Mike Penceも話していた通りアメリカもこの事態に関して憂慮しているようだ。また改めて詳しく書きたい。

 

 

 

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全く関係なくて恐縮だが写真は帰国時に見つけて驚いた養殖本マグロ、しかもメキシコ産。こちらでも食べられるのか探してみよう。きっと高いんだろうな(^^: