Lindy Effect

少し前にGDPの経年国毎比較、日本の高度経済成長少し前くらいからの動画が話題になっていた。

 

下図は更に時を遡り1820年、アヘン戦争直前のGNPだ。(単位はmillion USD)

 

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中国がなんと当時世界の33%、インドは17%、合わせてほぼ50% - 印中の”二強”状態は紀元頃からこの当時までむしろ当たり前だった。その莫大な富から生み出される、建築物を中心とした芸術作品のスケールやバリエーションはヨーロッパや日本を遥かに上回る物だったのだろう。

 

去年3月に学校の都合でインドにしばらく滞在していたのだが、その際に訪れたハンピという都市のユニークな遺跡群は一見の価値ありだと思う。因みにインドに行けたのはIndia labというコンサルプロジェクトがきっかけで、バンガロールのテック系の会社でしばらく働いていた。詳細についてはまた折を見て書き留めておきたい。

 

ただ惜しむらくは多くの遺跡群の保存状態が壊滅的に悪いことだ。米加豪と違い植民地時代からイギリスに”移住先”ではなく”搾取対象”として見られていたことも手伝ってのことか。元宮殿の中心部にあった石像などが無残に壊されている様子は決して珍しくなく、現在でも保存に注力されている様子はあまり見られなかった・・・

 


翻って去年の年末から少し訪れた中国、特に北京中心の紫禁城や天安門周辺にある建造物もさすがの巨大さ(繰り返すが19世紀まで世界のGNPの1/3は中国が占めていた)で保存もよくされているようだった。

実は元の旅程に北京は含まれていない。たまたま乗り継ぎ時間が9時間もあったためスローンの友人に紹介してもらった地元に住む中国人Vivienに案内してもらったのだ。しかしとても観光し切れるサイズではないので彼女にも勧められたNational Museum of Chinaを始め、また改めて時間をとって訪れようと決心。

建築技術も当時は非常に優れており、例えば水が降った際には壁や屋根などに無数に施されている龍の口から水が流れるとのこと。(https://www.youtube.com/watch?v=BwF2x6msdhU)また大雨の際も敷地内からスムーズに排水されるよう様々な工夫が為されているようだ。

建造物そのものの保存状態も良くインドと同じ問題は抱えていないようだ。しかしVivienが教えてくれたのだが、ここでショックだったのは中国はインドとは別の大切なものを失ってしまったらしい。残念ながらこれらの非常に高度な建築技術は文化大革命によりほぼ失われてしまい再現は不可能とのこと。

 

 


題名のLindy Effectとは『長く生き残ってきた技術やアイデアなどの無形資産はこれからも長く使われていく』という法則。(クラシック音楽など典型だろう、23世紀になっても聞かれていそうだ)元々はBroadwayのショーが今後どれだけ続くかの予想に使われていて、その名もニューヨークにあるチーズケーキが名物だったレストランLindy’sからとったらしい。


上に書いたインドや中国で起こった出来事をLindyに無理矢理当てはめるならばインドや中国の優れた建造物、そしてそれを作りあげる技術は時の試練に勝てなかったということなのだろうか?結局のところそういうことなのかもしれない。ただ近代の帝国主義、そして現在も続く専制君主制度が無ければどちらもうまく生き残ってきたのではないだろうか。

 

 


私見だが、帝国主義そして専制君主制度によって日本が失った物は宗教だと思っている。日本を始め東洋の国は元々宗教に対して寛容だが、明治維新まで脈々と受け継がれてきた神道や仏教は現人神の出現により大きく弱体化したはずだ。そこへ敗戦から天皇人間宣言を経て日本からは宗教が失われてしまったのでは。日本の宗教について聞かれるたびに非日本人にはいつもこのように説明している。(何か別のストーリーを知っていたら教えてください)

宗教が今より色濃く残っていたとして私たちの生活にどんなメリットがあったのだろう。それに理論的な答えを導き出すことは今の僕には難しい。ただ真に重要なことは理論の外にあるのではないかと、MBAを通じて得た様々な宗教を持った友人たちと話す度になんとなく感じるのだ。

Will our children be better than us?

去年の夏のこと。

 

『Yukiは最近の21歳をどう思う?』

 

グループディナーの中で最年少だった学部生の女の子がおもむろに切り出した。

 

ただの世間話のつもりだったのかもしれないが僕は人を世代で捉えるのはあまり好きではない。適当に返しつつ、下の世代から自分たちとは異なる人種として扱われたことに新鮮さを感じた記憶がある。

 

こちらだとMillennials、Generation Z、Digital Native。そして日本ではゆとり、草食系から団塊世代まで多くの人が正しいと思う文脈は存在している。ただそれらは表現そのものが的を得ているかよりも分かりやすさ、面白さ、更には受け入れられやすさによって定着していくと思う。

 

それよりも世代間の人格差を形作るのは発達過程の生理現象や老化現象など、時代や人種にかかわらず普遍的に起こる出来事だと考えていた。

 

 

 

とあえて過去形を使ったのだが、2000年前半と比べてTeenagerの非飲酒率増加(アイスランドで23% => 61%)、犯罪率減少(イギリスでなんと3分の1に)、性経験率も低下(アメリカで54% => 41%)とライフスタイルは実際大きく変化しているらしい。

 

さらに“友達を簡単に作れる”15歳の割合は各国軒並み低下している。みな人間関係に慎重になっているのか。

 

 

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皮肉というか、性経験割合の低下に反しオンラインコンテンツへの中毒は日に日に大きな問題となっているようで、若くしてEDになった男性たちを扱ったDocumentaryを最近何本か見た。(詳しくは書かないが興味のある方は調べてみてください)刺激から自分を切り離して生きていくのは簡単なことではない。

 

最後に、記事のまとめの部分をのせておく。

"One way of thinking about the differences between the youth of today and yesterday is that today’s lot are taking it slow. They are slow to drink, have sex and earn money. They will also probably be slow to leave home, get married and have children."

 

 

The Economist: Teenagers are better behaved and less hedonistic nowadays

https://www.economist.com/international/2018/01/10/teenagers-are-better-behaved-and-less-hedonistic-nowadays?fsrc=scn/fb/te/bl/ed/teenagersarebetterbehavedandlesshedonisticnowadaystheyouthoftoday&fbclid=IwAR3MwOcfHFqKeKAobQtuH7zaj4JbKQJa4fc7SVp-3Un2K4zCdWes7Llt_yY

 

 

 

 

Believe in the beauty of our dreams

(追記)多数リクエスト頂き、興味ある方向けのカウンセリング始めました。30分から受付けております。

carpe-diem-counseling.com

 

 

 

随分と間が空いてしまった。

 

 

6月に卒業してからというものの就活、就活。

 

アメリカの仕事でオファーをくれていた先があったにはあったのだが思うところがあり就職を続け、予想通り落選苦戦。振られ続けても1人に振り向いてもらえれば良いのだから、と思いひたすらネットワーキングし続けたが幸いアメリカにはポストMBAを採用する会社数・募集職種共に裾野が非常に広く半年ほど続ける中で応募先に困ることはなかった。

 

MBA受験を決めたあたりから僕の人生スペランカー(高難易度で有名なゲーム、プレーしたことはない)状態で困難苦難の連続だがやっている方は慣れたのかもともと感覚が狂っているのかあまり苦労をしている実感はない。ただ無意識下でストレスは蓄積していたようで近くにいた人たちには迷惑をかけてしまったこともあった。

 

僕が昔好きだった村上龍は『すべての男は消耗品である』で“NBA選手は皆困難をくぐりぬけた修行僧のような顔をしている”と言っていたが確かに一流選手は顔も体も美しい。僕もいつかそんな風になれたら、というのは密かな目標の1つ。

 

男の顔は履歴書、つまり年を重ねてきた男の顔つきには生き方が現れる(きっと女性も同様だ)というのは好きな表現の1つだが今後共に学んだ同級生たちが今後どう活躍し、そして顔つきがどう変化していくのか。これからとても楽しみだ。

 

10年ほど前の話だがダイビングのライセンスを取りに親友と訪れた那覇国際通りのバーでひかるさんという女性と出会った。当時の彼女と別れようか悩んでいたことを相談した僕に頑張るよう背中を押してくれたひかるさんが“男は30から魅力が出てくる。あなたたちはまだまだこれからよ”と話してくれたのが心に残っている。

 

気付けば31、当時思い描いていたほどの成長も実績はまだ無いが想像もしていなかったような人たちに多く出会い、助けられることでひとまずここまでやってこられたことを嬉しく思う。特に両親と別れてしまった彼女たちには本当に頭が上がらない。ブログは引き続き気が向いたときに更新しようと思うのでたまーにチェックしてくれたら幸いです。

 

Image may contain: 2 people, including Yuki Koyama, people smiling, people standing, hat and eyeglasses

 

 

EU統合への道

Social mobilityという概念がある。

正確には多義語なんだろうが今回は“地域間の移動”として捉えたい。

国内の、ある特定地域が奮わない際に比較的堅調な他地域へ移る。

すると職が多い地域に人は流入し産業はスムーズに成長、人が出て行ったところでも失業率低下することにより社会のバランサーとしての役割を果たしているらしい。

アメリカ、そしてカナダでは国内のSocial Mobilityが高く各州で働く人のうち2/3は他の州出身だとのこと。ニューヨークやシリコンバレーに限った話ではない。対してEUではEU圏内・さらに各国内で見ても比較的低いようでMacro-Economicsの授業で度々語られるEU圏統合において1つの障壁になっているらしい。

 

 

そらそうだ。

 

 

アメリカは元々移民の国、そして程度の差こそあれ各地域の文化はヨーロッパほど強くない。

 

一方で、語弊を恐れずに言えばヨーロッパの歴史は戦争の歴史だ。そして人々は、強くアイデンティティと国籍を結びつける。

だからこそスポーツが、サッカーが人々をあそこまで熱狂させるのだ。

(ヨーロッパ人はこちらでも盛んにチャンピオンズリーグを見ている。レアルは三連覇できるといいな)

マッチョとファミリーを尊ぶアメリカとは違い、スポーツがあそこまで盛り上がるコンテクストはそこにあるのだろうか。

 

 

翻って日本におけるSocial Mobilityはどうだろうか。少し前に話題になった地方出身者が東大に入ってショックを受けた話などを見ると僕にはまだまだ分からないようなメンタリティが地方にはあるのだろう。

実際塾にも通わずに現役で来ていた静岡の同級生を当時も深く尊敬していたのを覚えている。

 

また恐らく、在日外国人コミュニティはMobilityの高いグループなのだろう。だからこそ孫正義を始めとしたVitality旺盛な成功者が多く出てきた。

 

 

Social Mobility、定義を少し広げると転職市場の活性化や多様な働き方推進につながるのだろう。大分荒っぽい書き方になってしまったがいつか詳細に論じたい。

 

ちなみにEU統合においてカギとなるのはSocial Mobilityの他にFiscal Cross Insurance(大小有事の助け合い装置)とCross Subsidy(要はドイツらがギリシャを補助すること)だとのこと。

 

 

 

 最近ヘビーユーズしているSumiaoという学校近くの湖南料理(ほんとに関係ないがコナンの映画を激しく見たい・・・どうにかならないものだろうか)

 

 

Startup Nation

余暇のことばかり書いてきたが本来の目的はもちろん仕事、医療機器を開発するスタートアップでBusiness Developmentを手伝ってきた。

 

ご存知の方も多いだろうがイスラエルはStartupが非常に盛んになっており、軍/アカデミアのシーズから多くの事業が産まれている。最初は国策として設立されたVenture Capitalが多くあったようだが今は米系の名門ファンドも事務所を構えており、僕が働いた会社もそこに投資されている会社だった。

 

ビジネスを担当しているのがCEOのみだということもあり、CEO直下で働く中で色々と話を聞くことが出来た。そのうちの1つがカルチャーに関するものだ。イスラエルは非常にダイレクトなコミュニケーションをとることで知られている。国家を大家族と捉えていることが背景らしいが日本やアジア諸国とは真逆、アメリカを更に飛び越えた反対側の極致にあるようだ。またイスラエルは市場が小さいため海外企業との協業が欠かせないのだがそこでコミュニケーションの問題が起こるケースが多いようだ。

 

もう1つの文化的側面が行動的、リスクテーキングだということ。これもアジアとは真逆で強烈な”Can do mind”を持っているのだ。案の定リスク指向性やノウハウ蓄積の足りなさ(業界スタンダードへの理解の欠落など)から来る様々な問題があるもののバイタリティ豊かに次々と新しいことに挑戦する姿は魅力的だ。

 

さて僕らのチームはと言うと幸いにしてMBA生は僕だけで、常に冗談を飛ばしながらメリハリをつけて働く非常に心地良いチームメイト達に恵まれることが出来た。(周りの同級生からもyour team is coolと言われ鼻が高い)

 

プロジェクトの中間のフィードバックで指摘された改善点は案の定トピックによるモチベーションの落差。うーん皆よく見ている。もうこれを書いている時点では現地でのプロジェクトは終了しているので寂しい限りだが最後の発表まで明るく楽しくやりきろう。

 

 

Natures

文化・宗教に加えて自然の豊かさもIsrael labのハイライトだ。2万平方キロと日本の20分の1程度の国土によくもまあここまで色々見どころがあるのものだと感心せざるを得ない。

 

なんと言っても一番美しかったのはMasada周辺のエリアだ。死海を一望できる高台に建てられた古代都市はローマ帝国から逃げ延びたユダヤ人達が建てたもので、周囲にはローマ軍の陣営や兵器後、また当時の生活を垣間見れる美しい遺跡が保存されている。死海だけでなく周辺の砂漠地帯、そしてWestbank周辺の山々まで一望できる景色は見事の一言だ。

 

美麗の都市Masadaは悲劇的なストーリーで知られている。ローマ帝国に追い詰められ、ついに陥落を覚悟した住人たちは奴隷となるより誇り高き死を選び集団自殺したらしい。そのやり方も壮絶で1人1人に番号を振り、順番にお互いを殺し合い残った1人は自殺するというものであったとのこと。天気が良かったこともありMasadaはPetraに匹敵する感動を覚えた。

 

次に死海だ。生き物が住めないほどに濃厚なミネラル分が蓄積した、人が浮くことで有名な湖だ。比重は1.25g/ml、泳いでみると実際見事に浮くではないか!1月の海水浴はさすがに寒かったが・・・死海のミネラルは化粧品に利用されていることで知られている、いわゆる泥パックと同じ発想だ。周辺に製品が売っているだけでなく泥を体中に塗ることで全身スベスベ。先日15歳に見えるとバーのウェイトレスに真顔で言われた僕は14歳になったなといじられた。(苦笑、年々白髪も増えてきているというのに)

 

ガイドによると世界最低地(標高マイナス300m以下)に位置するというこの死海、毎年1.5mずつほど水位が下がっているとのこと。周囲の灌漑用水利用が増えた結果流入量が減ったためだと言うが、実際数十年前の水位を記録する腺からは大分離れている。また近くにはSink Holeと言って突然の地盤沈下から崩壊した地面が蟻地獄のような形になる現象が起こっており、危なくて近寄れない場所が多いそうだ。

 

そしてなんと驚くことに、水面低下を食い止めようと死海と紅海をつなぐプロジェクトが進行中とのこと。その運河がまた新たな問題を引き起こしその対処に奔走するのか、美しい自然を巡る光と闇を垣間見れたのは率直に言って興味深いものだった。

 

 

 

 

Holocaust Museum

人類史上最大の過ちとされる出来事がナチスによるユダヤ人大量虐殺、ホロコーストではないだろうか。世界中に点在するホロコーストミュージアムの中でも、僕らが訪れたエルサレムにあるものは特に有名らしい。同級生らとともに2時間ツアー。悲劇の詳細をありありと伝える資料の数々もさることながら、同行したガイドの休むことのない熱情的な語り口には忘れられることのない彼らの強い想いが表れていた。

 

ミュージアムに同行した前後にチームメイトと話した会話で忘れられないものが2つある。1つはプロジェクトを開始した週、ドイツ人のルーカスが『僕がドイツ人と知ってもイスラエルの人々はとてもやさしく接してくれて嬉しい』と言っていたことだ。あまりにもナイーブで恥ずかしいのだがその際には何で彼がバックグラウンドに負い目を感じているのか気付けなかった。ツアー途中ではっとなって後は彼の様子を伺わずにいられなかったがIt was very touching、と言っていた彼の胸中には特別なものがあったのかもしれない。

 

因みにドイツとイスラエルはその以前は友好的関係にあったらしく、僕らが滞在した海辺の経済都市Tel Avivの一部にはドイツ風建築が立ち並び、また多くのレストランではドイツ料理のシュニッツェルが定番だ。

 

2つ目は中国人のボーエン(漢字では博文だ)と交わした歴史教育に関する話だ。南京大虐殺について一通り話したあと『日本の教科書には違うことが書いてあるんでしょ?』との質問に僕は『そんなことないよ、今話した内容が正しく書かれている。そこはフェアーなはずだ』と答えた。当時の胸中ではグローバル化が進む中で隣国同士をいがみ合わせるプロパガンダに辟易としていたのだが、ホロコーストミュージアムに触れることで考えを大きく改めざるを得なくなった。

 

つまるところ、被害者側の感情はどうしようもなく根強く残ってしまうのだ。従軍慰安婦も教科書問題も確かに敵国設定からの国威発揚、政治的プロパガンダに過ぎない側面があるのだろう。しかし被害者、被害民族側には確かに感情的しこりが残るのだ。それはホロコーストミュージアムのガイドの語り口からも明らかだ。明らかにユダヤ人が迫害され始めた1930年代、ドイツの各国大使館はみな”Business as usual”、誰も動こうとしなかったことを彼らは忘れない。そんな当たり前のことにようやく気付いた経験となった。

 

日中、もしくは日韓関係において政治的に譲歩し続けるべきだは思わない。しかし1人の日本人として先祖の行いは認識しておく必要があると、強く感じる。近い将来、機会を見つけて各国の博物館に足を踏み入れてみたい。

 

ちなみに3週間一緒に住んで同じチームで働いたチームメイトとは本当に多くを話した。中国には前から強い関心を持っていたので特にボーエンとは政治、歴史、経済に関してかなり幅広く話すことが出来た。同時進行でやっていたHealthcare labでも2人のチームメイトは中国人だ。彼らとの話したこと、このつながりは本当に大きな財産だ。僕らが築き上げるアジア関係、というと大仰だが政府のエリートたちも集う現在の環境を活かしてこれからも色々と深く感じていけたら嬉しいな。