whatchamacallit

SoとVeryの厳密な差を皆はご存じだろうか。

 

HAPA英会話によると例えば It's so hot todayのように相手も同じ場にいて『今日は暑いねー』と相手も知っている内容についてはsoを、It's very hot in Japanのように相手にとり新情報を話すときはveryを使うとのこと。

「So」と「Very」を使い分ける簡単ルール | 英語学習サイト:Hapa 英会話

 

厳密な差はないのかもしれない。言葉だしネイティブでも使い分けを知らない、考えていない、ゴチャゴチャ、国/地域によって違うなんてこともあるだろう。

 

ただ恐らく同時に、彼らが無意識に同様の意味合いの表現を場面により使い分けていたり、コンテクスト(文脈)による相手と話していてしっくり来る表現の差異も存在するのではないか。するとそれを完全に無視して話す人との違和感の蓄積や、逆にうまく使い分ける人との距離感の縮まりもあるのではないか、と思う。

 

 

 

”おれが好きな曲を選ぶ基準の半分は歌詞だ。”

 

僕が言葉に興味を持ったきっかけは中学の同級生の一言だった。小さいころはコロコロコミックばかり読み国語が大の苦手だった。父が典型的な本の虫で、家の壁が数層の本棚(伝わるだろうか、スライドする本棚の奥に本棚、またその奥も本棚だ)に囲まれて育ったにも関わらず、だ。

 

ラルクをカラオケで熱唱していた劣等生仲間の彼から言われたその一言から、言葉に興味を持ち出した。そして大学生になるころにはミスチルの失恋ソングに自分を重ねるようになっていたし、今でもコピー集を読むのが好きだ(ちょっと前にはルミネのコピーが流行っていたっけ)。簡潔で分かりやすく、それでいて人の心を鮮やかに揺さぶる良いコピーを作る人を心から尊敬する。

 

相変わらず難しい本を読み漁るわけではない。三島由紀夫とか何が面白いんだろうと知り合いに話すとお前は馬鹿だから分からないのだと。僕は父のようにはならなかった。それでも自分の言葉選びには神経を使えるような、繊細で、そしてほんの少しの優雅さを備えた人間でありたいとは思うのだ。

 

だから英語でも、少しだけ気を使えたら嬉しいな。自己満でも良いから。

 

 

 

Nuance学習の少しPracticalな部分についても触れたいと思う。Billingualのカテゴライズ方法の1つが下記だ。

 

  • Compound Billingualism: 母国語ともう1つの言語をほぼ同時に習得する(長谷川潤の子供のような感じか)
  • Subordinate Billingualism: 大人になってから第二外国語を習得した人(僕がここにあたる、Billingualと呼んでいいかは別として)
  • Coordinate Billingualism: 他2つの間

 

発音と上達速度もそうだが、二言語を同時習得したComopoundと大人になってから勉強したSubordinateの最大の差の1つは言語習得に使う脳の差だという仮説がある(Critical Period Hypothesis)。Compoundは左右脳同時に、Subordinateは主に左脳に頼り学習する。するとComoundの方がより包括的な文脈(つまりニュアンスだ)を含めて自然に学習出来るのだという。またSubordinateは第二言語で話しているときに感情的になりづらいそう。因みにどのタイプのBillingualもアルツハイマーにはなりづらいという研究結果があるらしい。(第二言語は脳トレのようだ、論文の質なんて知りませんが)

 

実際のところ境界はあいまいだろう。だから何歳で初めてもニュアンスは少しづつにせよ身についていくし、美しい表現に出会うと心が躍る。(表現の美しさの理解、なんてのはContextを理解していればこそではないだろうか)

 

ただやはり、21歳で初めてサンディエゴへ留学するまでThank youとSorryくらいしか言えなかった自分がどうしても取りこぼしてしまいがちなニュアンスの理解を補いたい。そして深い深い話を、一語一語を吟味しながら世界一優秀な人たちと語り合えたらどんなに味わい深いだろうと思うのだ。

 

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ちなみにタイトルは、何かの名前が思い出せないときに言う"あれなんて言ったっけ・・・"という意味でHAPA英会話で一瞬触れられていた。ここ数日使う場面を狙っているのだがなかなか出てこない。皆も言ってみよう、Whatchamacallit!(あえて当てはめるとワチャマコーレ!って感じ)