Holocaust Museum

人類史上最大の過ちとされる出来事がナチスによるユダヤ人大量虐殺、ホロコーストではないだろうか。世界中に点在するホロコーストミュージアムの中でも、僕らが訪れたエルサレムにあるものは特に有名らしい。同級生らとともに2時間ツアー。悲劇の詳細をありありと伝える資料の数々もさることながら、同行したガイドの休むことのない熱情的な語り口には忘れられることのない彼らの強い想いが表れていた。

 

ミュージアムに同行した前後にチームメイトと話した会話で忘れられないものが2つある。1つはプロジェクトを開始した週、ドイツ人のルーカスが『僕がドイツ人と知ってもイスラエルの人々はとてもやさしく接してくれて嬉しい』と言っていたことだ。あまりにもナイーブで恥ずかしいのだがその際には何で彼がバックグラウンドに負い目を感じているのか気付けなかった。ツアー途中ではっとなって後は彼の様子を伺わずにいられなかったがIt was very touching、と言っていた彼の胸中には特別なものがあったのかもしれない。

 

因みにドイツとイスラエルはその以前は友好的関係にあったらしく、僕らが滞在した海辺の経済都市Tel Avivの一部にはドイツ風建築が立ち並び、また多くのレストランではドイツ料理のシュニッツェルが定番だ。

 

2つ目は中国人のボーエン(漢字では博文だ)と交わした歴史教育に関する話だ。南京大虐殺について一通り話したあと『日本の教科書には違うことが書いてあるんでしょ?』との質問に僕は『そんなことないよ、今話した内容が正しく書かれている。そこはフェアーなはずだ』と答えた。当時の胸中ではグローバル化が進む中で隣国同士をいがみ合わせるプロパガンダに辟易としていたのだが、ホロコーストミュージアムに触れることで考えを大きく改めざるを得なくなった。

 

つまるところ、被害者側の感情はどうしようもなく根強く残ってしまうのだ。従軍慰安婦も教科書問題も確かに敵国設定からの国威発揚、政治的プロパガンダに過ぎない側面があるのだろう。しかし被害者、被害民族側には確かに感情的しこりが残るのだ。それはホロコーストミュージアムのガイドの語り口からも明らかだ。明らかにユダヤ人が迫害され始めた1930年代、ドイツの各国大使館はみな”Business as usual”、誰も動こうとしなかったことを彼らは慰安でも忘れない。そんな当たり前のことにようやく気付いた経験となった。

 

日中、もしくは日韓関係において政治的に譲歩し続けるべきだというべきではない。しかし1人の日本人として先祖の行いは認識しておく必要があると、強く感じる。近い将来、機会を見つけて各国の博物館に足を踏み入れてみたい。

 

ちなみに3週間一緒に住んで同じチームで働いたチームメイトとは本当に多くを話した。中国には前から強い関心を持っていたので特にボーエンとは政治、歴史、経済に関してかなり幅広く話すことが出来た。同時進行でやっていたHealthcare labでも2人のチームメイトは中国人だ。彼らとの話したこと、このつながりは本当に大きな財産だ。僕らが築き上げるアジア関係、というと大仰だが政府のエリートたちも集う現在の環境を活かしてこれからも色々と深く感じていけたら嬉しいな。