きっかけは

日本人が無意識に好んで使う言葉の1つが”きっかけ”ではなかろうか。

“障害者支援を始められたきっかけはなんですか?”

“医者になろうと思ったきっかけは?”

 

僕はこのきっかけという言葉が嫌いだ。

それは均質という日本人の持つ共同幻想が見え隠れするからだ。(言ってる人はそこまで考えてないんだろう)

“どんなに立派な人も皆元々は同じ人間、どんな活動を始める時も、そこに至る努力の積み重ねにもそれに至るだけの、万人に納得のいく理由があるはずだ。”

そんなのウソだ。人はそれぞれ違う。今持っている能力も性格も、元々の性質も、みな違う。

 

それで良いのだ。

 

アメリカにいると嫌でも思う。アフリカ系アメリカ人は足が速い。欧米人とサッカーすると当たりの強さに驚く。きっと知性も人種によって異なる。それを同じだと言うほうが不条理だ。(だからこそPolitically Correctness が必然なのだ)それは人種レベルを超えて個人間でも当然同じだろう。

 

人はみな違う。そのシンプルな事実を受け入れることで初めて自分が正しく見えるのではないか。

自分が見えて人が見えて、初めて人の役に立てる。リーダーシップが発揮できる。世の中が見える。そして自分がどう貢献するか考えることに現実味が出て戦略が立つ。

医学部時代の同期、アメリカにいる3人で今週末Philadelphiaへ旅行に行ってきた。

少しずつ共有できる話題は減ってきた。その代わりそれぞれが違う世界で研鑽してきたことで心に響く話が出来た。

助け合えたら、一緒に何か作れたらそりゃあ素晴らしいけど、そんなものは無くたってこの関係が続けばいい。

そう心から思えるような、満たされたひと時を過ごせた。

 

人はみな違う。だから愛する後輩の為に考え抜いたアドバイスも、思ったほどには通じない。

だから言葉を尽くすんだ。だから僕はブログを書いている。Writing is thinking。考えを言語化する作業が思考を研ぎ澄ましてくれると思う。

 

残念ながら、聞き手を全く無視して話したいことを延々と語る人が少なくない。

年を取ると自然とコミュニケーション能力が下がるんだろうか。経験上男性に多い。

残念ながら生まれ持った物が女性とは違うんだろう。

僕はそうはなりたくない。寂しがりだから、いくつになっても心が通い合う対話を積み重ねていきたい。

 

人はみな違う。だから努力すれば夢が叶うとは限らない。

才能のある人が、正しい方法で、十分な量積み重ねた努力が、運を伴って初めて花開く。

才能があるかなんてどうすれば分かるのか、そこで初めて努力が意味を持つ。

死ぬほどやって、それでもダメだったら才能がないんだろう。そしたら辞めたら良い。少なくともそのことには才能がないんだから。

次のことを頑張ってまたダメだったら辞めたら良い。そうしてるうちにきっと何かうまくいく。

Harvardの卒業式でMark Zuckerbergも言っていた。失敗しても良い環境が優秀な多くの起業家を生む。

色んな事に挑戦して必死に努力して、うまくいったら最高だね。でも何をやってもダメだったら・・・

考えたくも無いけど、でもきっとそんな人生は幸せだ。

僕はこれからそれを証明したい。

 

そんなことを帰りの機内で考えていた。

 

インターンも残すはちょうど半分、来週も頑張ろう