見捨てないでいてくれた君たちへ

漸くボストンでのインターンが終わり次学期が始まるまでの束の間、日本に帰る機内でCatch me if you canを見た。

パイロット、医者、弁護士になりすました上に大金のpay checkを切り、FBIに逮捕された際には19歳、まるで少年マンガのような人生を生きたFrank Abagnaleの実話に基づい作品。高校時代、女子校の綺麗なあの子と見た映画だ。

 

これがなぜか昔から好きだ好きだと言っていたのはかの天才詐欺師への憧れか、自分を投影していたから、もしくは結局無類のイケメンである親友と付き合ったあの子への哀愁か。

 

今回見たのは消去法でなんとなく。Checkを印刷する輪転機に佇む主人公、逮捕される直前のシーンで理由に気付いた。終わりかと思っていたこの時点で110分程度、本作は140分でまだ30分ほど残りが。自分の記憶では派手に逮捕されてお終いの映画、しかし逮捕された19歳の後のFrankの更生と活躍、そしてCarlとの絆についても触れられていたのだ。

 

人の記憶のなんとあやふやなことだろう。

 

なんてことはない、思春期に全てが馬鹿らしくなり中学で学校を辞めてしまおうと思っていた自分を救って高校へと導いてくれた恩師やサッカー部のチームメイト、そしてその他多くの友達と自分の姿を重ねていただけ。

 

普及の名作は読むたびに発見がある。世の中という大海の中、小さな小さな水たまりの様な自分の知識を少しでも拡げなければと生き急ぎ新しい物にばかり手を出していたが一歩引いてみると見えてきたのはシンプルな事実だ。ステージにより心情により、その日に起こった出来事により、名作は様々に姿を変え語りかけてくる。

 

ところで留学後もワンピースとハンターハンターは欠かさず読んでいる少年ジャンプで少し前に連載が始まったDr. Stone。お気に入りのブログで勧められていたので読んでみたら意外と面白い。特に1巻が終わったあたりから急展開。帰国の楽しみが増えた。

 

寝れない機内、成田まで残り7時間。どうでも良いけど機内のトイレのドアって何で未だに灰皿がついているんだろうか。

 

心を鎮める

出会った皆に経験をまとめたスライドを送りインターン最終日が終了。なるべく簡潔にジョークを交えながら作ったがどうだっただろう。

 

今回、四六時中四苦八苦する中で得た学びの1つが休息の取り方。因みに学びとか成長という表現はどうも堅苦しい上に薄っぺらくて好きになれないのだが他に呼び方が思い浮かばないのが不本意だ。

 

結論から言うと”心を鎮める”。長谷部誠の心を整えるで紹介されていた30分間、音楽を消しテレビを消し、ベッドに横になり天井を見つめる。長谷部は呼吸を意識して体の力を抜いていくそうだが僕は割と好き勝手考えごとをしている。

 

初めてこれをやったとき不思議と心の角は取れて翌日はかつてなく爽やかな朝を迎えることが出来た。

 

少し早起きが得意になった。

 

幼稚園の頃から起きるのはギリギリ、大学時代も実習で疲れ果てていた時に新聞を読みながら机の上で寝るというアクロバティックな姿を看護学生たちが写真を撮りながら笑っている声で目覚めたときはさすがに恥ずかしかったのを憶えている。

 

鼻中隔湾曲の手術をして大分楽になったが”心を鎮める”のお陰で積年の悩みが解消された。有難う長谷部。何を思い立って心を鎮めたのかは憶えていない。ただ日中のパフォーマンスの差は絶大で緊張する場面も劇的に減った。

 

インターンを通した他の発見についても触れたい。学びではなく発見という言い方はよりしっくりくる。

 

もう少し一般化したアメリカの、バイオテックのカルチャーに沿ったものを挙げるならとにかく話しまくること。ネットワークとはMBAで得られるものの代表格として挙げられるものの来る前はあまり腑に落ちていなかったがここに来て本質的な理解に近づきつつ気がする。

 

現状の理解を言語化するならば仕事を効率よく回すためとか就職先を紹介してもらうという次元を超え、会社という大きな機械を精緻にそして大胆に捉えること、さらに自分の強固なレピュテーションを築く上で大きな役割を果たしているものといったところ。

 

また特にインターン生にとってだがたまに“ああ、こんな世界が世の中にはあったんだな”という発見に日々出会えるのがなにより幸せだ。医者・ビジネスマンを問わずヘルスケアを志す人にとってアメリカは一度は来た方がいい場所だと思う。ここで優劣を論ずるつもりはないが全くの別物だ。

 

とはいえ就職先の確保も本音を言うと捨て難い。特にシニア層にいくともうほぼネットワークベースだそう。そう言えば以前出会った尊敬する大先輩の1人でForbes級にSuccessfulな方はMBAを出たあと一切Resumeは書いたことがないとのこと。

 

 

 

カレンダーを見ていたら

山の日という知らない祝日が・・・!?

小山の日だったら良かったのに。8月なんの縁もないが。

小さいころから夏が好きだったのに最近日差しがきつい。紫外線が気になる。

 

ところで最近新しいサッカーチームで練習始めました、PhDのチーム。

この年でサッカーがうまくなるとは思っても見なかった。

whatchamacallit

SoとVeryの厳密な差を皆はご存じだろうか。

 

HAPA英会話によると例えば It's so hot todayのように相手も同じ場にいて『今日は暑いねー』と相手も知っている内容についてはsoを、It's very hot in Japanのように相手にとり新情報を話すときはveryを使うとのこと。

「So」と「Very」を使い分ける簡単ルール | 英語学習サイト:Hapa 英会話

 

厳密な差はないのかもしれない。言葉だしネイティブでも使い分けを知らない、考えていない、ゴチャゴチャ、国/地域によって違うなんてこともあるだろう。

 

ただ恐らく同時に、彼らが無意識に同様の意味合いの表現を場面により使い分けていたり、コンテクスト(文脈)による相手と話していてしっくり来る表現の差異も存在するのではないか。するとそれを完全に無視して話す人との違和感の蓄積や、逆にうまく使い分ける人との距離感の縮まりもあるのではないか、と思う。

 

 

 

”おれが好きな曲を選ぶ基準の半分は歌詞だ。”

 

僕が言葉に興味を持ったきっかけは中学の同級生の一言だった。小さいころはコロコロコミックばかり読み国語が大の苦手だった。父が典型的な本の虫で、家の壁が数層の本棚(伝わるだろうか、スライドする本棚の奥に本棚、またその奥も本棚だ)に囲まれて育ったにも関わらず、だ。

 

ラルクをカラオケで熱唱していた劣等生仲間の彼から言われたその一言から、言葉に興味を持ち出した。そして大学生になるころにはミスチルの失恋ソングに自分を重ねるようになっていたし、今でもコピー集を読むのが好きだ(ちょっと前にはルミネのコピーが流行っていたっけ)。簡潔で分かりやすく、それでいて人の心を鮮やかに揺さぶる良いコピーを作る人を心から尊敬する。

 

相変わらず難しい本を読み漁るわけではない。三島由紀夫とか何が面白いんだろうと知り合いに話すとお前は馬鹿だから分からないのだと。僕は父のようにはならなかった。それでも自分の言葉選びには神経を使えるような、繊細で、そしてほんの少しの優雅さを備えた人間でありたいとは思うのだ。

 

だから英語でも、少しだけ気を使えたら嬉しいな。自己満でも良いから。

 

 

 

Nuance学習の少しPracticalな部分についても触れたいと思う。Billingualのカテゴライズ方法の1つが下記だ。

 

  • Compound Billingualism: 母国語ともう1つの言語をほぼ同時に習得する(長谷川潤の子供のような感じか)
  • Subordinate Billingualism: 大人になってから第二外国語を習得した人(僕がここにあたる、Billingualと呼んでいいかは別として)
  • Coordinate Billingualism: 他2つの間

 

発音と上達速度もそうだが、二言語を同時習得したComopoundと大人になってから勉強したSubordinateの最大の差の1つは言語習得に使う脳の差だという仮説がある(Critical Period Hypothesis)。Compoundは左右脳同時に、Subordinateは主に左脳に頼り学習する。するとComoundの方がより包括的な文脈(つまりニュアンスだ)を含めて自然に学習出来るのだという。またSubordinateは第二言語で話しているときに感情的になりづらいそう。因みにどのタイプのBillingualもアルツハイマーにはなりづらいという研究結果があるらしい。(第二言語は脳トレのようだ、論文の質なんて知りませんが)

 

実際のところ境界はあいまいだろう。だから何歳で初めてもニュアンスは少しづつにせよ身についていくし、美しい表現に出会うと心が躍る。(表現の美しさの理解、なんてのはContextを理解していればこそではないだろうか)

 

ただやはり、21歳で初めてサンディエゴへ留学するまでThank youとSorryくらいしか言えなかった自分がどうしても取りこぼしてしまいがちなニュアンスの理解を補いたい。そして深い深い話を、一語一語を吟味しながら世界一優秀な人たちと語り合えたらどんなに味わい深いだろうと思うのだ。

 

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ちなみにタイトルは、何かの名前が思い出せないときに言う"あれなんて言ったっけ・・・"という意味でHAPA英会話で一瞬触れられていた。ここ数日使う場面を狙っているのだがなかなか出てこない。皆も言ってみよう、Whatchamacallit!(あえて当てはめるとワチャマコーレ!って感じ)

 

I prefer living in color

毎日毎日、相も変わらずポロシャツとジーンズの僕に対しPantryで出くわした女性が言った。

"I love your pink shirt. Men should wear pink more."

 

大学時代はまだ気を使っていたものの(大学時代はなんとお洒落な人投票で学年1位だった)社会人になって他のこと、主に仕事が忙しくなってからみるみるダサく。。。服装は優先順位が低かったんだなあ、なんて思っていたけど突然褒められて思わず嬉しくなってしまった。

 

 

女性は男性に比べ概して色の感覚が鋭いと言う。男性が"赤"とひとくくりにするものをマゼンダ、臙脂、サーモン、ガーネット。

組み合わせもうまい。前職でとてもお世話になった上司はいつも絶妙なスーツ、タイ、シャツのカラーコーディネート。話を聞いてみると毎朝奥さんが選んでいらっしゃるようで、道理で花柄をあんなに嫌味なく使えるわけだと妙に納得。(男性自身がお洒落なタイプは全体的にモノトーンで、ネクタイはソリッドが多いのでは)

 

けやき坂のスタバに置いてある本を手あたり次第読んでいた時期があるのだが、その際にカラーコーディネートに少し興味を持った。明度と彩度の違いに始まり、赤ちゃんに似合うのはペールトーン(薄い色)、ビビッドな色を好む子供が大人になり少しずつ落ち着いていく。季節も同じで町の色彩の変化に加えマッチする色も淡い色、鮮やかな色、そしてくすんだ色へと変わる。だから春服と秋服は違うのだと妙に納得。

 

語り尽くされたことだが色は感情やイメージにも影響し、政治家は場面によりネクタイを使い分ける。感情だけではない。ラグビーのオールブラックスとか、アイルランドは緑が国そのものを象徴する。

 

SloanのLeading through Visual Communicationという講義によると色が象徴するイメージはCultural Differenceが出やすい分野らしい。(詳しくは下図)例えば日米で死を表すのは黒だがヒンドゥーや中国では白、なんと南米では緑だと。また同じ文化圏にいそうな日中に意外と差があるのは興味深い。確かに中国の寺院は赤緑が中心の派手な装飾が施されているが日本はほぼ赤、黒、白で緑を目にすることはほとんどない。

 

 

因みに冒頭の女性のひとこと、'I love your pink shirt."だがやはりこちらでも女性がお互いの服装や髪形について話す姿はよく目にする。しかし男性、特に男性から女性へ服装や見た目に関してビジネスの場で話されていることはほとんどない。

 

 

そんなこともあって職場でほんとにオシャレな女性、白黒のモノトーンに鮮やかな緑がかった水色のスカーフがとてもよく似合っている人がいたりすると思わずほめたくなってしまうのだがなんとなく触れずにいた。

 

同級生に聞いたら『まあほぼ大丈夫だけど触れない方が無難。ただボディイメージが連想される服装についてよりブレスレットやピアスなど小物の方がセーフ』だと。うーむ難しい。慣れれば自然に危ないところは交わせるようになるんだろうけど、その上で自然体でジョークを話せってうっかり地雷を踏んでしまいそうだ。

 

グローバルエリートへの道のりは長く険しい・・・

 

 

I'm just kidding

Jokeを制するものが留学を制する

 

最近Standup comedyを良く聞くようにしている。(Comedianが1人で客前で1時間程度話して笑いを取り続ける。日本語で言うと落語?)

 

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一番面白くて良く見ているのがこのLouis CK、彼は下ネタと半Politically Correctnessネタばかりだが

 

 

 

英語が上手くなってきたはずなのにどうもまだアメリカ人からの壁を感じるなー、と悩んでいた際に前職の先輩から言われた『Turn dog shit into gold、とか適当にJoke言ってれば、“ああこいつ分かってんな”ってなっから!』という金言を思い出したからだ。

 

というわけで(自分の最大の弱点であるユーモアの無さは一旦棚に上げ)1秒でも短く用件を言え!というレベルのほんっとに真面目なミーティング以外はほぼ常に誰と話すときも隙あらば冗談を言うようにしている。

受けていることに気をよくした僕は(ほぼ皆こちらがJokeを言っていると察すると笑ってくれる)更なる高みを目指し、Jokeを言うコツを周りに聞いてみた。

 

そこで得た上司からアドバイスが”Be natural”、余計なことは気にせず思いついたことを言ってみろ。

曰く仕事のプレゼンでも同じ、Jokeでもなんでも最も流暢に話すコツは自然体でいるとのこと。

ちょうどシンガポールの同級生Min Haoとランチをした時に彼が得たFeedbackも”Don’t take yourself too seriously”だったことを思い出しGreat minds think alikeと妙に関心。どうも僕は、色々必死になりすぎているのかもしれない。(書く文章が最近暑苦しいのもそのせいか??)

もう少し気楽にしなやかに、日々を過ごせたらなあと強く思う。

 

(因みにMin Haoはこちらに来て最もお世話になっている、本当に尊敬する友人の1人だ。彼についてはまた別の機会に紹介したい)

 

 

 

 

ところで最近英語の小説が読みたいと思っている。

何か肩肘張らず、気軽に読めるものがあったら教えてもらえると非常にありがたいです。

 

 

I am not genius

ちょうど1年前の今日、医学部時代の友人たちが中心となって壮行会を開いてくれた。

高校の友人、会社の先輩後輩、その他遊び仲間も含めて70人くらい来てくれた様子から『結婚式みたいだ』とある友人はつぶやいた。

 

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会の最後に、何か話したいとネタを考えていてちょうど思いついたのが『僕は天才じゃなかった』という話。

自分は天才じゃない、でも相手を知り自分を知り戦略を立て、努力し、そして多くの人の協力を得ることでここまで来れた。というような話だ。

(因みにまだ何も成し遂げていないというクレームは受け付けていない)

 

幹事を買ってくれた藤田からの、孫正義の伝説のスピーチにあやかれという無茶振りになんとか答えようという一心だった。

その直後、尊敬する友人の1人から力強い握手をされた時とても報われた気持ちになったのを覚えている。

時折、何の言葉はなくとも握手だけで友人の強い気持ちが伝わってくることがある。

思い出すと泣きそうになる(TEDで泣いた僕の涙腺は恐らくMITで一番緩い)。

僕も何か残せているだろうか。

 

少し話は違うがモルガンスタンレーでの入社当初は非常に苦労した。

ミーティングの話は分からないものばかり、高校の先輩らしい岩瀬大輔の『入社1年目の教科書』をバイブルに暗中模索。

唯一の楽しみは毎晩1話ずつビールを片手に彼女と見た24だった。

社会人になりたてとは皆そんなものかもしれない。

 

漸く経ってペースが掴めてきたのは情報が少しずつ揃ってきたころ。

周りの人はどうやって日々の情報を得ているのか。毎日山のように来るメールのうち、どれくらいに目を通してどこまで頭に残っているのか。

アウトプットをどこまで深めれば、もしくはどの角度から言えば価値が出るのか。誰に何を聞けば情報が出てくるのか。

(だからほどほどの飲みニュケーションは意味があるのだ。おれは大抵飲みすぎる)

 

MBAも始まって1年近くが経過しつつある。

最初はFOMO(Fear of missing out)丸出しで全イベントに参加、不器用に走り回ってインターンも終盤を迎えると振り返ると色んな情報が揃ってきた。

それはこちらのJokeやParty、交流会での振舞い方からキャリアまで幅広い。英語表現も無意識下での蓄積は相当なもの。(夢の中の僕は相当に流暢だ)

だから必死も良いけどちょっと俯瞰して、うまく戦略的にものごとを進めていこう。