Center of Religions

“I’m handing you a piece of white paper. Write what you need, not what you want.”

Israel labも中盤に差し掛かった週末、3日間のエルサレム旅行での出来事。幸いにいもトランプ発言後の緊張感がやや落ち着き、大学から禁止されていたOld cityへと立ち入ることが許された。

 

Old cityはエルサレムの中心部、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地が集まる場所でやれ聖母マリアの生誕地だマグダラのマリア聖堂だと神話、いや聖書の世界が凝縮されたような土地だ。(本当に来れてよかった)

 

冒頭のWhite paper、白い紙だがユダヤ教の聖地West wallに祈りを捧げる際に悲願を書くことが許されている物でどういうご縁か近接するVIP roomに通してもらった僕たちも経験してきた。改めて欲しいものではなく本当に必要なもの、と言われると簡単には出てこない自分の浅はかさを恥じるばかりだがなんとかひねり出して書いてきた。

 

West wallに限った話ではなくあらゆる宗教における最上級の聖地が集うエルサレムは訪れる人の表情もまた特別だった。一生の念願叶い訪れた人たちもきっと大勢いたんだろう。中高で習った世界史を思い返してみると(成績が振るわなかったくせにという突込みは禁止)神に種々の想いを託し祈りを捧げた人々が、そしてその想いに忠実に戦いに命を捧げていった何億人という人々がいた。

 

そんなことを感じながらキリストの墓で祈りを捧げることが出来た際には宗教には全く縁がない僕も言葉で言い表した瞬間に陳腐になりそうな、とても厳かな気持ちになることが出来た。(ちなみにOld cityを回っている間中なぜか僕の頭の中ではFinal Fantasy Xの唄がひっきりなしに流れていたのは内緒)

 

人々の強い想い、感情に触れる瞬間に僕は強く惹かれる。共感するというのではなく、おそらく重要な瞬間に立ち会えたありがたみ、そしてその人の人となりに触れられた嬉しさからだろう。だから結婚式に行った際にはいつも新婦が手紙を読む際の新婦の父の感極まっている顔を見ることができるのがいつもとても好きなのだ。なんだか斜めから見ているようで嫌らしいだろうか。喜怒哀楽、種類は関係ない。

 

ただやはりエルサレムは、Old Cityはこれまで僕が見てきたちっぽけな世界のどの場面と比べても別格だったのだ。子供が、家族が出来たら一緒に来れたら良いな。

 

ところでトランプがエルサレム首都容認発言をしたことの何が問題なのか、皆はご存じだろうか。(もちろん僕は知らなかった。)それは次回に少し書いていきたい。