Gender and basic human rights

本題のHackathonだが、僕らはWoman Empowermentに関するビジネスアイデアを通じ両者の親交を図ろうというテーマでプレゼンした。正直深入りすることを避けてきたテーマだったが作業しているうちにのめり込んでいったのを受けて自分で考えていた以上にジェンダー問題に関心を持っていたことが分かった。

 

全くの素人だが、ジェンダー問題について友人たちの話を聞いたり日頃SNSで語られている内容を見てい限りでは日本企業が欧米対比改善点のある分野だという印象だ。しかし女性を取りまく文化慣習や宗教事情が独特な中東地域はより複雑な実情を抱えている。

 

先述のユダヤ教の聖地West Wallも男女で使用できる範囲が違ったり(女性の方が小さい)、イスラム地域では女性が家にいるべきだという意識が強い。また家庭内での女性は男性が祈りを捧げることに注力できるようあらゆる家事子育てを引き受けるのが当然だという風潮も一部にはあるようだ。(是非断っておきたいが私が見聞きしたごく限られた範囲内での情報だ)

 

宗教事情が絡むとさぞ改革は難しいだろうと思い、たまたまJudgeの1人であった日本の某巨大通信企業アメリカ人幹部の奥様で色々と話してみたのだが少しずつ改善はしているようだ。

 

イスラエルにいる間によく感じたが、小学校で学んだ基本的人権が当たり前に備わっていることのなんと有難いことか。投資銀行という人の入れ替わりの多い業種に身を置いていたせいか普段意識するのは“職業選択の自由”くらいのものだが。

 

職業選択の自由だが、四谷大塚の先生の次に教えてくれたのは就職活動中に出会った先輩だった。受諾した内定を断る可能性があることを相談した際、『職業選択の自由は憲法で保障されてるから全く心配することない』と言われとても心強かったことを覚えている。

情報量の差から中々労働者側、特に若手は不利な思いをしてしまうことがあるが、同業他社のしがらみもあるだろうに私と内定先との知識差を少し埋めてくれた先輩には今でも感謝している。

 

ただここで違和感を持ってしまうのが同じく憲法で設定されている“勤労の義務”の存在だ。選択するのは自由だが、例え経済的余裕があっても何かしら労働活動に従事しなさいということか。(社会主義みたいだ)働くのは義務だったのか、じゃあアーリーリタイアは?未だに学生をしている僕は憲法違反なのだろうか??幸いにも罰則規定はない。

 

Wikipediaによると元々は政府案と社会党案の折衷で義務という文言が入ったらしい。(なんのこっちゃ)国を発展させるために皆が負うべき精神的努力義務、むしろ国が職業を提供する義務、など解釈は種々あるらしい。

 

『人が定めたルールなんかつまんない、神の定めた科学こそ面白い。』

医学部生時代、法医学は最も嫌いな科目の1つだった。実際社会に出てみると公私でなんだかんだ力になるのが法律の知識ではないか。因みにMBA最終学期となる来期にはTaxes and Business Strategiesという授業をとっている。人文系の学問の随分勉強してきたし今度は毛嫌いせず 精進してみよう。

 

 

 

Center of Religions

“I’m handing you a piece of white paper. Write what you need, not what you want.”

Israel labも中盤に差し掛かった週末、3日間のエルサレム旅行での出来事。幸いにいもトランプ発言後の緊張感がやや落ち着き、大学から禁止されていたOld cityへと立ち入ることが許された。

 

Old cityはエルサレムの中心部、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地が集まる場所でやれ聖母マリアの生誕地だマグダラのマリア聖堂だと神話、いや聖書の世界が凝縮されたような土地だ。(本当に来れてよかった)

 

冒頭のWhite paper、白い紙だがユダヤ教の聖地West wallに祈りを捧げる際に悲願を書くことが許されている物でどういうご縁か近接するVIP roomに通してもらった僕たちも経験してきた。改めて欲しいものではなく本当に必要なもの、と言われると簡単には出てこない自分の浅はかさを恥じるばかりだがなんとかひねり出して書いてきた。

 

West wallに限った話ではなくあらゆる宗教における最上級の聖地が集うエルサレムは訪れる人の表情もまた特別だった。一生の念願叶い訪れた人たちもきっと大勢いたんだろう。中高で習った世界史を思い返してみると(成績が振るわなかったくせにという突込みは禁止)神に種々の想いを託し祈りを捧げた人々が、そしてその想いに忠実に戦いに命を捧げていった何億人という人々がいた。

 

そんなことを感じながらキリストの墓で祈りを捧げることが出来た際には宗教には全く縁がない僕も言葉で言い表した瞬間に陳腐になりそうな、とても厳かな気持ちになることが出来た。(ちなみにOld cityを回っている間中なぜか僕の頭の中ではFinal Fantasy Xの唄がひっきりなしに流れていたのは内緒)

 

人々の強い想い、感情に触れる瞬間に僕は強く惹かれる。共感するというのではなく、おそらく重要な瞬間に立ち会えたありがたみ、そしてその人の人となりに触れられた嬉しさからだろう。だから結婚式に行った際にはいつも新婦が手紙を読む際の新婦の父の感極まっている顔を見ることができるのがいつもとても好きなのだ。なんだか斜めから見ているようで嫌らしいだろうか。喜怒哀楽、種類は関係ない。

 

ただやはりエルサレムは、Old Cityはこれまで僕が見てきたちっぽけな世界のどの場面と比べても別格だったのだ。子供が、家族が出来たら一緒に来れたら良いな。

 

ところでトランプがエルサレム首都容認発言をしたことの何が問題なのか、皆はご存じだろうか。(もちろん僕は知らなかった。)それは次回に少し書いていきたい。

 

 

The Holy Land

Action is the foundational key to all success.

Pablo Picasso

 

先週末からイスラエルに来ている。Learning by action、ということでプロジェクト実践型の授業を多く取っているのだがその1つ Israel labで1月をTel Avivで過ごすことになったからだ。Startupへのコンサルがメインだが文化体験の側面が強く秋の講義も大部分はそこに割かれていた。

 

首相のBenjamin Netanyahuがアラムナイであることもあり同国とMITとの関係は深い。最近話題のStartup Nation、ということで意気揚々と乗り込んだ。(日本から出たくない余りにフライトを1日逃したのはここだけの話。快くRescheduleしてくれたAeroflotには頭が上がらない)

 

安全性の話は誰に話しても心配されるが今のところは問題なさそうだ。いかつい銃を抱え町中を闊歩する兵役中の20歳前後の若者たちを見るのにも少しずつ慣れてきた・・・トランプによるエルサレム首都認定の後、日本では色々と報道されたらしいが現地人も学校側も素知らぬ顔。中東内での実情は国により様々に違うとのことだろうか。実際OECDのbetter life indexにおけるsafetyでもイスラエルは38ヵ国中20位、日本の1つ下だが韓国、フランスやオーストラリアより上位なのだ。(http://www.oecdbetterlifeindex.org/topics/safety/

 

象徴的だったのが隣国ヨルダンとの国境での景色。道の舗装のされ方、付近売店の設備や人々から醸し出される雰囲気が両国でまるで違うのだ。観光名所での”たかられ方”も雲泥の差。中東の中でも肥沃な土地に恵まれた上に商魂逞しい人々が建てたイスラエルに対し、インディージョーンズ後は観光がやや盛り上がったものの不毛な土地で油田にも恵まれなかったヨルダンでは国柄が全く異なる。

 

肥沃な土地、と言えば食事が非常にうまいのもイスラエルの特徴だ。伝統料理はひよこ豆をもとにしたフムスやファラフェルなど、その他とにかく野菜・魚介を中心に食材がうまいので何を食べても満足度が高くアメリカとは大違い。幸いにしてここ一か月ほどは体重を図る機会に恵まれていない。帰国後の運動量は多少増やさなければならなさそうだ・・・

 

 

 

 

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Team member & CEO

 

 

 

In Data We Trust

最近Data Analysisにはまっている。

 

きっかけの1つは前学期に取ったMarketing Analysisという授業。

StanfordでData Scienceを学びFacebookでキャリアを積んだ後Academiaに来た教授が担当している。

これが非常にマニアックで理数の大して強くないMBA生に対し博士のComputer Scienceかと思わせるほどの容赦ない理詰め、統計学専門用語の嵐にDropする者続出・・・

 

『R?勘弁してくれよ・・・』

 

 10万円以上かけた渋谷の某教室で挫折して以来プログラミング言語というものからは距離を取っていた。(いつか詳しく話したいが世のOnline講座、特に英語ソースのものは非常に充実しているので同じ轍は踏まないで頂きたい)

インターン獲得後のダレも相まって修了後の評点も燦燦たる結末。

 

 

 

しかし印象に残っていたのが先生のなんとも言えないオタクさ。世の中を変えるCrazyな人たちってのはこんな感じなんだろうな。

 

もう1つがTableauというData解析用Software。『たぶりゅうって虎舞竜みたいだ。え、たぶろー?』なんて思いながらぼーっとスクリーンを眺めていたのだがみるみる美しいグラフが描かれていく・・・操作も簡単そうだ。data入力はExcelで良いらしい。

 

その後たまたま縁があって働いたRetail向けProjectでPOS(Point of Sales、主に小売業で保管されている個々の販売データだ)データの分析を任されることになり、これはと思いTableau`を使ってみたところ驚異的なパフォーマンスを発揮。

 

何がすごいって数十万行のCSV(純粋なテキストに近いExcelファイル)がメモリ4GB、CPUもCORE i5くらいのPCでほぼマウスだけでサクサク分析できるのだ。

 

 

『これはちょっと楽しいぞ・・・』

 

 

お陰でクライアント企業の担当者からもうまく興味をひくことができた。現場のプロと話し合いを連日重ねた結果(テクノロジーがどんなに進歩してもこここは根幹、データ分析はあくまで補完要素だ)、マーケティング戦略からオペレーション改善まであらゆる分野に役立ったのでした。めでたしめでたし。

 

 

 

 

 

 

ここまでTimelyなこともなかなかないかもしれないが授業で学んだことをすぐに使う機会を得られるのがMBAの良さだろう。やはり授業を聞いただけ、本を読んだだけではあやふやな理解で終わってしまう。宿題を解きテスト勉強をして、実際に企業に使ってみて漸く使える知識になっていく。

 

因みに学習効果の向上、という意味で高かったのはFeyenman Techniqueだ。(天才物理学者Feyenmanさんが名付け親らしい)

学んだことを出来るだけ平易な言葉で人に教えることで理解が深まる。僕も大学受験の頃、歯学部に行った憧れのあの子にどや顔で語れることを妄想して理解を深めたっけ。。。

 

閑話休題、Machine learningは何が得意で、実は応用可能性が低いFunctionはどこなのか。それを理解することで初めて革新的な技術を使いこなせることが出来るのだろうし、次の世界も少しは見えてくる。よく『AIによってなくなる仕事は!?』という種の議論がされるが良いアルゴリズムを構築するために現場の理解は必要不可欠だし産業/職種をまたぎ全般的にマンパワーが大幅に必要無くなると同時に新たな種の職業が産まれるんだろう、と現時点で思っている。

 

 

 

今学期に入ってからもData Analysis熱は冷めやらず、今日もMITの象徴であるDomeの真下にある図書館で天才たちに交じりながら自習に精を出すのであった。

Eat good feel good

フードファイター小林尊をご存知だろうか。

 

173cm 58kgと痩せていながら8個のギネス記録を持ちフードファイトをスポーツに高めた立役者として世界的に有名な日本人の1人だ。

 

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僕自身もこちらに来るまで知らなかったのだが、アメリカ人はもちろんドイツ人/ニュージーランド人から成る僕のスタディグループも、ついでに指導教官のイスラエル人も含めKobayashiは全員知っていた。

 

ルームメイトも僕が自炊したキムチ鍋をそのまま鍋から貪り食べる姿を見て『やっぱり日本人はよく食べるなあ』って、なんだか違和感だらけのStereotypeを強めてしまったり。(因みに僕は前職で1人暮らししていた頃から鍋しか作らない。)

 

こちらに来て改めて思い知ったのだが僕はアメリカ人基準からしても”かなり”大食いな方なのだ。少なく見積もっても煩悩の50%は食欲で占められている。

 

 

You are what you eat.

 

 

前職で尊敬していたEconomistの先輩に言われたひとことだが、30になってサッカーばかりの日々を送る中重要性を痛感。食事に気を付けないと疲れが抜けない、体が重い。

 

専属シェフを連れてミラノで闘う長友の食トレ、ってのは完全に言いすぎだがyoutubeで栄養関連のコンテンツを見ながら猛勉強中。

 

”脂肪分はオリーブオイルなどに含まれるシス型の不飽和脂肪酸が望ましくトランスや飽和脂肪酸はとらないように”

”極度の疲労時には消化に労力をかけず効率良くエネルギー補給できるフルーツを中心に”

 

フルーツ摂取の習慣が自然と根付いているからか、日本の販売価格が高すぎるのか、こちらの人は果物をほんとによく食べる。(皆さんも欧米人がリンゴを丸かじりしているイメージはないだろうか)

 

僕もそれを真似つつ、持ち前の貧乏学生根性で安く買う方法を探し回ってみたところHay Marketを発見。190年程続く早朝卸売市場(日本で言う築地みたいな、魚だが)の売れ残り在庫一掃セールが、ボストン市内で毎週末開かれているのだ。

 

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売っているのは野菜果物が中心。これがちょっと信じられない値段で下記写真(トマト20個、ズッキーニ3個、リンゴ5個、キャベツ1玉など)合計たったの10ドル、更に土曜夜の閉店間際では1かご詰め合わせ1ドルのことも。講義室では味わえないビジネスの一端を垣間見ることが出来る。

 

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またお隣New Hampshirを名産地とするロブスター、でかいのが丸々1尾で10ドル程度。ルームメイトが買ってくれた専用鍋を使ってボイル、今夏で30匹は食べただろうか。両親がボストンに来た時も自宅で皆で食べたのだが、彼らが大量に食べる姿を見て『ああ、おれはこの人たちの息子なんだな』と自分のルーツに妙に納得。ちなみに行きつけのStar MarketのSeafood担当の人によると中国からの需要が強く値段が上がっているのだとか。そう言えば春のJALの空港ツアーではボストン- 東京の空輸物はロブスターが多いと教わったっけ。

 

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とまあ、アメリカでも食の楽しみようは大いにある。それでもやはり美しい和食が恋しくなるたびに自分のDNAに刻まれたアイデンティティには抗えないのだなあと痛感するのだ。(皆さんいらっしゃる際はサバ缶をお土産にください)

 

1%のクリエイティブと99%の非クリエイティブ?

『日本とイタリアは似ていると思うんだ。』

 

3人いるイタリア人クラスメイトの1人、Jordiからの一言に僕は驚いた。

多くの著名な芸術を生み出し、現在の建築、美術、食と幅広い分野において世界で確固たる地位を築いている両国はその他の部分でも共通点が多いのではないかとのこと。

 

日本では自己をクリエイティブだと見なす人が圧倒的に少ない。下図は各国のZ世代(12-18歳のことらしい。ドラゴンボール??)を対象にしたアンケート。自分を創造的だと思う生徒が欧米比遥かに少ないのがわかる。

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均質性、横並びを尊び、幼稚園から新入社員まで型にはめ続ける教育。同じ服装、靴、髪形で揃えた人たちの入社式の写真が話題になったのは記憶に新しい。組織ファーストな全体主義的なカルチャーからナカマを尊ぶ傾向が生まれてきたと言っても文化ってものはなかなか変わらない。高齢化が進めば猶更だろう。

 

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それを創造性の敵と見なす風潮に何の違和感もなかったが確かに日本は芸術、そしてエンターテインメントの分野において非常にクリエイティブなのは確かだ。ポケモンはもちろん、南米の男友達はみなドラゴンボールZの主題歌を歌えるし、女性のセーラームーン人気には驚いた。

 

1%のクリエイティブと99%の非クリエイティブによって日本人は構成されているのでは?非創造的な文化とクリエイティブにおける強烈な実績を折衝する仮説だが皆さんの感覚はどうだろうか。

 

今後国内エンタメ市場がますます細ってしまうとクリエイティブを支えることも難しくなるかもしれない。下図は1例として週刊少年ジャンプの発行部数だ。現在はさらに落ちて200万部を切っているとのこと。こちらでも毎週かかさず少年ジャンプとヤングジャンプをチェックしているほどのマンガファンとしてはとても気がかりだ。

 

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僕たちの教科書を作っているのは文科省じゃなくて集英社と講談社と小学館だ。努力の尊さもリーダーシップも女性との接し方だって、みんな漫画が教えてくれた。だからノイジーマイノリティのの意見で味気ない物になっちゃったら嫌だ。漫画の話は本当に尽きない・・・

 

 

少年ジャンプ展行きたかったなー!

 

 

 

クリエイティブな人たちの部屋は散らかっているらしい。だから僕も・・・しょうがないんだろうきっと;;

 

The joy of dressing

大分前の話になるがファッション関連の仕事をすることがあった。

 

『なんで僕がわざわざ・・・』

 

かつてはそれなりに気を使っていたものの社会人になってからというもの支出の大半は旅行と交際費(要は飲み代だ)。オフィスではビジネスカジュアルのギリギリを攻めてフォーマル推進派のセールスの大先輩方から睨まれていた僕にとり、ファッションは控えめに言っても無縁の分野だった。

 

 

しかし元々綺麗なものが好きな僕は、始めた直後から面白いようにのめり込んで行き会社の人たちともすぐに打ち解けられたのを憶えている。

 

美容・ファッションが面白く感じる理由はもう1つある。

 

中学時代、両親との喧嘩、そしてサッカー部を辞めるきっかけにさえなった茶髪に飽き足らず最初に手を出したファッション誌はFINEBOYSだった。髪を染めピアスを空けお洒落とされている服に身を包み、当時の自分の感覚では最も"イケてる町"渋谷で何の目的もなく友人たちとたまっているのが好きだった。

 

 

 

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上図はNANAで有名な矢沢愛大先生のパラダイスキスより。”美しい装いで魔法がかかった”なんてのは可愛いもので、TiffanyやHERMESの様なブランド物を身に着けるだけで良くも悪くも自分の格が上がったような気さえしていたのを憶えている。

 

 

“We must never confuse elegance with snobbery.” — Yves Saint Laurent

 

 

良くも悪くも、と書いたのは何を根拠にするにせよ自信により踏み出せる一歩が、そこから広がる世界があると信じるからだ。当然ながら思春期の僕にそこまで考えが及んでいたかは定かではない。

 

何はともあれ今でも新しい髪形が決まった日は気分が明るくなる。スーツをパリッと着れた日の面接には一段と気が引き締まる。男の僕ですらそうなのだ。ファッションの力は侮りがたく、だからこそ関わるうちに魅了された。

 

 

多くの日本人がどう感じるかは分からないがこの国の人たちは本当に美しい、と帰るたびに想う。アメリカの、それもMITというファッションから程遠い場所に日頃身を置いている僕にはなおさらそう感じられる。

 

 

それはファッションへの支出額からも明らかで、下図は年間アパレル支出額の国ごと比較、Apparel spendingをGDPで除したものだ。(WWDという非常に適当なソースになのでより良いデータがある人は是非教えて欲しい)

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蛇足だが世の中の特に男性には一定数ファッションを全く楽しめない人もいる。そういった方々のためにROIの最も高い(要は最も手軽に"効果"の見込める)ファッション関連の記事をお気に入りのブログから2つ張り付けたい。

ファッションはロジックだ!MB著「最速でおしゃれに見せる方法」がすごい。 - 俺の遺言を聴いてほしい

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